咲バーバのつぶやき

日常で心に残った言葉や話し、自分の思いを書いてみました

「『計算ができない』伝えた女性」認知症と生きるにはの記事を見て!

朝日新聞の一紙面に掲載された記事です。

少し長い文章になりますが、一読してみて下さい。

 

 「計算ができない」伝えた女性

[認知症と生きるには]朝日新聞 2024年令和6年10月12日(土)

 

人は誇りに思うことは他人に打ち明けやすいですが、恥ずかしいと思うことを開示するには大きな勇気が必要です。

今回紹介するのは、認知症初期だった女性の決意です。 

個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名で紹介します。

篠原和子さんは1993年、私が認知症を主に診るクリニックを開設した直後にこられました。

当時76歳。夫を見送って6年目、ひとり暮らしでした。記憶が保てないことや計算がうまくできないことを悩んでいました。

CTによる画像診断と諸検査で認知症かを診断しました。

私は「結果を自分で知りたいですか」と聞いた上で、アルツハイマー型認知症が始まっていること、悪くならないように他人との交流を続けることが大切であることを伝えました。

 すると彼女は「日々の買い物の際に計算がうまくいかないため、レジの後ろに立っている人から『早くしろ』とせかされるのが不安です」と話しました。

 まだ社会の中で生活する認知症の人への配慮は、現在のように広く理解されていませんでした。

 私が初めてアメリカにホームステイした高校1年の夏、言葉が半分以上わからず、「僕はまだ英語がよくわからないので、ゆっくり話してください」と言ったことを彼女に伝えました。

 すると篠原さんの表情が明るくなりました。そして「先生に白状したら、少し気分が楽になりました。私も『自分は病気なので』と積極的に相手に伝えてみようと思います」と返事が返ってきました。

こうも言いました。「私はこれが出来ないと知らない人に話すことで私の勇気を示せるかもしれません」

 毎月、受診の際にどの程度自己開示ができたかを聞きました。

「先日スーパーマーケットのレジの店員さんに、私は認知症が始まっていて助けてほしいと伝えたところ、泣き出してしまったのです。その店員さんは、祖母の物忘れを信じたくないあまり、叱責(しっせき)を続けていたことを話してくれました」。さらに店員さんは「これからはぜひ協力させてください」と。

 

 たとえ認知症が始まっても、その後のその人の生き方が周囲の人に勇気を与える瞬間を見た気がしました。

 私が「認知症はなったら終わりではなく、なってからが勝負!」と言っているのは、認知症に立ち向かった人々から勇気を見せてもらったからなのです。

           (精神科医・松本一生)

 

厚生労働省の研究班が、65歳以上の高齢者人口が、ピークに近づく2040年には、認知症の高齢者は584万2000人となるとの将来推計を発表しています。

これは高齢者のおよそ15%、6.7人に1人にあたるそうです。

 

認知症になると、以前と同じように物事を行うことが難しくなり、失敗をすることに、戸惑い、不安などのストレスを感じる可能性が高まっていくとのことです。

驚いたのは、認知症の症状に最初に気が付くのが、ほとんどの場合、本人で、家族や周りの人が気付く頃には、症状がかなり進んでいるともいわれているのです。

本人は、進行していく病状に混乱しながら、周りに迷惑をかけていることや、自分がどう見られているかも感じとっていて、認知症になったことを恥ずかしく思い、身内にも、ましてや他人には言えずに不自由を感じながら、暮らしている人も少なくないのです。

 

私は過去に、もの忘れが酷くなったと感じたことがあり、認知症の診断検査を受けてみようと、思い切って親しい友人や、妹に相談したときに、私が気にしている物事は、普段よくあることと、一応に笑い飛ばされてしまいました。

年相応で誰もが感じているものだと自分自身に納得させたものの、さらに、もの忘れ症状が進んでいくのではないかという不安に駆られ、モヤモヤ感は拭えませんでした。

 一か月後に思い切って、毎年受けている健康検査に合わせ、長谷川式認知症スケール、脳の画像検査を受けました。

 認知症ではないとの診断を聞いて、それまでの中途半端な不安感が消え、あらためて自分の仕事、生活を考え直してみようと思ったことを思い出します。

 

「『計算できない』伝えた女性」の記事を読んで、認知症になった時点で、その人の、人生が終わったわけではなく、そこから始める人生もあるのだと知ることが出来ました。

 少しの勇気をもって、これからの老後を送ろうと思います。